日常生活の中で遭遇する何の変哲もない疑問に端を発し、創意工夫を繰り返すうちに意外な結果に終わり、かつその問題を攻略するアイデアが数学の新分野を切り開く契機になった「掛谷の針の問題」を紹介しましょう。
「掛谷の針の問題」とは、1917年頃、数学者、掛谷宗一先生が提起した「長さ1の線分(針)を平面上で1回転させるのに必要な最小面積の図形は何か、また、その面積はいくらか」というものです。
矢野健太郎先生の本によると、彼が掛谷先生にどのような契機からこの問題を思いついたのかをうかがったところ、「昔の武士はいつ敵が襲ってくるかもしれないと考えて、厠(かわや、便所)に入るときでも短い槍(やり)を持って入っていた。もし、武士が厠に入っているときに不意に敵が襲ってきたら、彼は狭い厠の中でその槍を振り回さなければならない。この問題はそれから思いついたのさ」という返事だったそうです。
図1のように、直径1の円の中で、そこから針がはみ出さないように1回転させることができるのは明白です。針の中点Oを中心にして、ぐるりと1回転させればよいからです。この円の面積S1は、
S1=0.785398…
となります。そこで、この面積をいかに減らすかが問題となりますが、最初は図形を凸図形に限定しましょう。ここに凸図形というのは凹みのない図形のことです。すぐに気がつくのは、針の一端Aを固定して端Bを60度だけ回転し=図2(a)=、次に端Bを固定して端Aを60度だけ回転し=図2(b)=、さらに最初の一端Aを固定して端Bを60度だけ回転させる方法です=図2(c)。
page: 2
これで針は半回転するので、同じ操作をもう一度繰り返せば、針は1回転します。このおにぎり形(ルーロ-の三角形)の面積は、
S2=0.704770…
です。このおにぎり形はかなり効率的ですが、針を回転させることのできる図形の面積をさらに少なくできます。それは、高さ1の正三角形=図3=で、この面積S3は、
S3=0.577350…
となり、おにぎり形より小さくなります。
では、さらに面積を減らすことができるでしょうか。凸図形に限定すると、図3の正三角形が最小であることが藤原松三郎先生によって予想され、1921年にパルによって証明されました。こうして、凸図形に限定すれば掛谷の針の問題は完全に解決されました。
しかし、針が1回転できる図形が凸でなくても良いとしたときはどうなるのでしょうか。この問題が予想外の結論で終止符が打たれるまでには、さらに6、7年の紆余屈折がありました。
その予想外の結論とは、ベシコビッチの研究によるもので、「どのように小さな面積をもつ図形の中でも、そこから針がはみ出すことなく針を1回転させることができる」という驚くべきものでした。
page: 3
前述の高さ1の正三角形の面積は0.577350…でしたが、例えば、その1万分の1の微小な面積0.0000577350…しかもたないある図形の中で、そこからはみ出さずに針が1回転できるという結論です。
その図形を正確に描写することは紙面の都合で割愛しますが、直観的には、ガラスの破片の集まりのようなギザギザ図形です=図4。
針の回転のさせ方を大ざっぱに表現すると、あなたの車の前後に他の車がピッタリと駐車されてしまった状態から、あなたの車を抜け出させるときに行う、“切り返し”の繰り返しです。この問題を思いついた発想も、それを解決した発想も日常生活の中にある平凡なものでしたが、この問題から新しい数学の分野が開けたのです。
| — | 【秋山仁のこんなところにも数学が】(87) 武士の槍と車の切り返し (1/3ページ) - MSN産経ニュース (via kml) (via tnoma) |